これからが本当の復興
西日本豪雨災害から1年
あれから1年が過ぎました。
ちょうど1年目の日。
熊山英国庭園の出勤日に、真備の両親が遊びに来てくれました。
差し入れと称して、
真備町のウォール・ウォーレンというお菓子屋さんの大人気シュークリームをタンマリ持ってきてくれました。
まさか!まさかのお客様。
母親は体調を崩し、半年ほど寝たり起きたりの状態で、
1日300歩あるくのも大変という状態だったのに。
涙が出そうでした。
体調を崩してから、ハンドトリートメントをせがまれることが増え、
よくトリートメントしています。
この日も英国庭園でトリートメント。
母親にトリートメントするときは、少し照れますが、
喜んでもらえると素直に嬉しい。
ひとしきりおしゃべりし、庭園内を散歩して、両親は帰っていきました。
いつもはせっかちでスタスタと一人で先に歩いて行ってしまう父が、筋力が低下し歩く速度が極端に遅くなった母に合わせて、ゆっくり歩いている後ろ姿に胸が熱くなる…
ひとつの区切り
そして昨日、1階の天井裏まで水に浸かった家のリフォームが終わり、
みなし仮設住宅から真備町の自宅へ引越ししました。
去年のちょうど今頃は夢中で過ごしていました。
暑さと戦いながら家財の片付け、諸々の手続きにあちこち奔走しているころでした。
たくさんのみなさまからお心を寄せていただき、
様々なご支援を賜りましたことを両親に代わり心より御礼申し上げます。
私たち家族は、みなさまからの温かいお言葉、心尽くされた支援物資で幾度となく励まされ、
今日まで歩んでくることができました。
本当にありがとうございました。
水害からちょうど1ヶ月後に、多くの方のご支援で入居することができたみなし仮設住宅。
少しでもゆっくりとしてほしいと思っていましたが、
両親にしてみれば真備の家は、住み慣れた我が家。
みなし仮設住宅のある岡山市から、真備町まで毎日毎日毎日毎日通っていました。
そんな矢先、母親の体調不良。
主治医も家族も災害でのストレスで起こったこと、高齢者特有の不調と高をくくっていましたが、
その後、命に係わる深刻な状況であったことがわかり入退院を繰り返す毎日。
現在は随分と回復してきて、少しは元気になりましたが、
そうはいっても約半年ほどの寝たり起きたりの生活が、母の老いをさらに加速させました。
水害時の片づけのときは、率先して動き回っていた母が、
みなし仮設住宅からの引っ越しの時は、ほとんど動けません。
「あの災害さえなければ・・・」
と何度思ったことでしょう。
そのたびにこの言葉を飲み込み、逆に自分を奮い立たせてきました。
とにかくがむしゃらに歩いてきた1年でした。
現在の真備町は、リフォームや建て替え工事が少しずつすすみ、
少しずつ人が戻ってきているようですが、その一方で空き地も目立つようになりました。
幼馴染の家や、子供のころよく通ったお店も、今はもう空き地になっています。
それを見るたびにいろんな思いがこみ上げてきます。
だけど。
前を向いていたい。
昨日より今日が少し笑顔であればいい。
「もっと元気になりたい」
そうつぶやいた母に寄り添い、
地域の方に寄り添い、
時にはともに立ち止まり、
ともに涙を流しながら、
それでも手を取り合い、前を向いていたい。
そう思っています。
これからが、本当の復興なのでしょう。
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