平成30年7月豪雨の記録【救助まで①】
母からの電話「おねえちゃん・・・」
前日(7月6日)豪雨で、いたるところで警報が発令されていたため、翌7月7日、8日のアロマの授業は、スクール規約通り休講にしていました。
我が家のすぐ横に流れる川があり、前夜は今まで見たこともないくらいの水位まで上がっていました。
念のため、いつでも避難できるようにバックにいろいろと詰めて用意はしていましたが、翌朝には雨も止み、雲間から太陽が顔を出していました。
「やはり岡山。晴れの国だ…」と迎えたいつもの朝でした。
7月7日(土)午前10時半頃、母親からの電話。
「おねえちゃん、たいへんなことになったの・・・」
急に心臓がドキドキし始めました。。
母は状況を話してくれました。
前日から降り続いた雨で、倉敷市真備町の小田川が決壊したこと。
両親の住む真備町辻田付近は朝6時半過ぎから少しずつ浸水し始めたこと。
すでに階段の半分くらいまで水が上がってきていて、避難所に行けないので自宅の2階にいること。
食料と水はひとまずあること。
(まさか・・・)言葉を失いました。
「今、電気は?」
「携帯電話の充電はある?」
「食料は?」
矢継ぎ早に質問し、両親それぞれの声を聴いた後ひとまず電話を切り、昨夜遅かったためまだ寝ていた夫を揺り起こして状況を説明しますが、もう・・・うまく話せません。
すぐに弟たちに連絡。
いずれ電気が止まるであろうから、それぞれの携帯電話から電話をかけるのは控えること。を約束しました。
次に幼馴染とも連絡を取りながら、お互いの親が2階に取り残されたことを知りましたが、
私は、両親の事しか考えられなくなってしまいました。
1時間おきにLINEで会話
両親には、数年前にスマートフォンを持ってもらいました。
ガラケーでいいと言っていたのを、ほぼ無理やりスマホに。
高齢者向けのらくらくホンというようなスマホですが、
LINEを入れたりfacebookやTwitterのやり方を教えていて、日ごろからLINEでやり取りをしていました。
そのおかげで、文字入力時少しの時間はかかりますが、電力の消費のすくない文字を使ったやり取りで状況を知ることができたのもよかったです。
母からの実況写真
まだ昼間だったからか、母はすぐに救助されると思っていたようで、拍子抜けするほどのんきなLINEも届いていましたし、周りの写真も送られてきました…( ̄▽ ̄;)
はじめに送られてきた写真。
「お父さんの車がお風呂に入ってるよ~」とのメッセージあり…(^-^;
その他には、
ひとまず炊飯器に5合お米を入れて持って上がりご飯を炊いたこと。
おにぎりをたくさん作ったこと。塩を忘れたこと。
桃もあること。…(^-^;
貴重品を取りに行ったけど、畳が浮いていて前にすすめなかったこと。
父親から「危ないから来るなっ!」と怒鳴られ、腹が立ったこと…笑
そんなことをやり取りをしながら、両親が比較的リラックスしていることに安心しました。
沈んでいく我が家
家の前に止めていた車。道路がすでに浸水しています。
このまま走れそうに見えるのですが、この道を進んだ後いったん1メートルほど下らなければならず、この段階で避難はできない状態でした。
実家と同じくらいの高さのご近所さんの車庫。
この後、左側の茶色の建物の窓のすぐ下まで水位が上がります。
SNSの情報力
それからは、テレビの災害情報を食い入るように見続け、ネットを屈指しながら情報を集めました。
特にTwitterからの情報はリアルでした。
リアルがゆえに状況がとても分かりやすかったです。
時間だけが過ぎ、あちこちから救助を求めるツイートが増えてきます。
私達もまた集めた情報をもって、消防、自衛隊、市役所、県庁、、ありとあらゆるところに電話やFAXを流して救助を依頼しました。
↑各所に送ったFAX
やがて日が暮れ始めます。
それでも両親から救助されたという連絡は来ません。
Twitterやネット、テレビ報道も情報が錯綜し、どれが正しいかもわかりません。
また、岡山県下もあちこちで災害が起きていて、同じように家族を心配している方々が多くいらっしゃるので、我がことだけをお願いすることにも気が引けました。
とにかく祈るしかない。待つしかない…
1時間おきにやり取りするLINEの限られた情報に焦りを感じつつ、
何もできないことへの焦り、
親を失うかもしれない恐怖、
それに押しつぶされそうになって何も手につきません。
それでも両親は強かった!!
以前購入した、空気を入れて使うエアマットに空気を入れ、その上にたまたま置いてあったべニア板をしばり付け即席のゴムボートを作ったとのこと!
元はこんな↑エアベッドにべニアを括り付けて
こんな感じに↓
こんな笹船のような不安定なものをよく活用したものです…
弟が実家においていたライフジャケット2つを身に着け、体の不自由な人がいるご近所のお宅へ、即席エアマットボートに乗って救助に向かったそうです。
即席エアマットボートを手と板で漕いでいき、ご近所のおうちとの間にロープを張り、さらにお隣でお一人暮らしをされている方のお宅までロープを張って行き来し、3世帯で体の不自由な方のおうちで救助を待ち続けていたそうです。
何と頼もしいことでしょう…
避難した2階に偶然エアマットがあったこと、ライフジャケットがあったこと、そして父親の機転が利いたこと。
我が親ながら脱帽です。
それから体の不自由な方を救助してもらうべく、かわるがわる何度も119番に連絡して、救助依頼をしつづけた両親たち。
もちろん私たちも何度もあちこちに救助依頼をしましたが、一向に進展はありません。
時間だけが過ぎました。
体の不自由な方とその奥様が自衛隊のボートに救助されたと母から電話あったのは、7月7日の午前0時少し前でした。
「でもね、お母さんたちは救助ボートの定員で乗ることができなかったの…」
(そんな・・・)
「今夜はもう来ないらしいから、寝ます」
その晩は両親とお隣の方3人で真っ暗な中、一晩過ごしたそうです。
母の言葉に泣けた・・・
翌朝、すぐにLINEで連絡。
努めて明るく送ってみました。
「よく寝れましたか?」
帰ってきたLINEは
「おかげさまでもうぐっすり!」(タフだ…)
それから1時間おきのLINEを送っても、しだいに既読にならないことが増えました。
おそらく充電が残り少なくなってきていることを意味しているのでしょう。
送ったLINEが既読にならなくても、おそらく待ち受け画面に出るメッセージは読んでいるはず。
このころには心配で心配でたまりません。。
同じく2階にご両親が取り残されている幼馴染と
「今日は救助されるよね~・・・」と何度も何度も電話で話しました。
何度目かのLINEのメッセージに
「救助されたら何したい?」とメッセージを送ると、
ずいぶん経ってから、
「フロ」
との返信が。
続けて送られてきたメッセージを読んで…私は初めて泣きました。
「お化粧」
こんな大変な時に、
命にかかわるようなときに、
女性として自分の身なりのことを気にする母親。
母親らしいその返信に我慢していた気持ちがあふれ、泣けて泣けて仕方ありませんでした…
「おかあさん・・・」
(つづく)
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