平成30年7月豪雨の記録【救助まで②】

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涙が止まらなかった

「救助されたら何したい?」

と尋ねると母から送られてきたLINEメッセージ

 

「お化粧」

この言葉に泣けて泣けて仕方がなかった

 

 

このころは(早く!早く!早く!!助けてほしい・・・)

それだけでした。

 

母親から初めて連絡を受けたのが7月7日の10:30頃。

すでに24時間以上経過しています。

 

何度もLINEメッセージを送っても…もう既読にもなりません。

 

LINEのメッセージ

13:38 「電話でらる?」←電話出れる?と打ちたかった…
13:38 「電話かけてもいい?」
13:38 「救助は来た?」
13:42 「大丈夫なの?」
13:51 「スタンプでもいいから」
13:51 「何か送って」
14:12 「救助は来た?」
14:15 「大丈夫?」

 

ほぼ・・ストーカー…(^-^;

 

抑えきれない感情

心配で心配で、同じ姿勢を5分も続けていられないくらい
心配している途中、知人から
『救助されたと聞きましたが…?』というメッセージに苛立ちを覚える。

 

まだこちらには誰からも連絡が入っていないのに!!

 

良かれと思って動いてくれていることも、
力を貸してくれていることも、百も承知。

 

だけど誰からも救助されたと連絡は入っていない!
ましてや両親の声も聴いていない!
なのになんでそんなメッセージの打ち方するの?!

 

不安感MAXの時に、感覚的なメッセージを受け取ると
抑え込んでいる感情が破裂してしまいそうになる。ということがよくわかりました。

 

やっと・・・

そんな自分の感情にいたたまれなくなって、弟と電話で話をしていた最中に、スマホのマナーモードがブルブルとなりました。

 

14:22 『今、倉敷市東小学校に無事避難しました同じ地区の人たちと一緒にいます』

あああ!救助されたーーーーーっ!!

 

この時は夫と抱き合って泣きました。
すぐ父親の携帯に電話。

 

「今ね、倉敷市東小学校にいるの。
(幼馴染)ちゃんのお母さんたちと、〇〇さんも一緒にいるよ」

 

「これから迎えに行くからねっ!!」

 

興奮して話をしている私に母親節がさく裂します…

「それがねぇ、バスを運転していた人が小学校がわからなかったみたいで、グルグル回ってやっと着いたのよ。どこに連れていかれるのかと思っちゃった。
ちゃんと運転してほしいわ!」

 

・・・・(=_=)元気そう…

 

そして、すぐ家族みんなに連絡。

とるものも取らず倉敷東小学校へ向かいます。

 

「おとうさんっ!!!!」

 

2人の疲れた顔を見るなり、涙しかありませんでした。
あぁ、、よかった…

 

両親の服を見ると、あちこちに泥が付いています。
擦り傷もあります。

 

それを見て…涙。

 

自宅に連れて帰り、お風呂を沸かしている間に暖かいコーヒーを入れると、
父親が見せてくれた写真を見て、涙しかありませんでした…

自衛隊の救助ボートに乗って、バスの待つところまで向かっている途中に写したという写真。
水位が下がったとはいえ、大きなトラックが住宅の塀に引っかかっているのが見えます。
水があるところはすべて道路とコンビニの駐車場。。。

浸水した我が家を見るのはどんな気持ちなのでしょう…
父親が写した自宅2階部分。

でもさすが両親。。想像していたより両親は元気でした(^-^;

疲れているはずなのに、興奮しているのか床についたのが22時半ごろ。

 

「明日は、片付けに行きたい!」

 

それだけを確認して、私たちも床に就きました。
救助を待ち続けた30時間が終わりました。
本当に長かった…

 

そして翌日から始まる片付け…
その長い長い道のりが始まるのでした。

 

(つづく)

 

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